●SDGs「学ぶことの大切さ ~ SDGs 目標 No.4 " 質の高い教育をみんなに "」
今回は学ぶことの大切さについてお話したいと思います。
「身に着けたものは誰も持っていかないよ」
私が子供だったころ、塾に行くのを嫌がった私に母が言っていたことを思い出しました。
母は誰からこの諺とも躾ともわからないフレーズを聞いたのでしょうか。
みなさんは「ユダヤ人」という人たちのことを聞いたことがあるでしょうか。
彼らは子供への教育には非常に熱心なことで有名ですがその理由はご存じですか?
彼らは過去、時の支配者から今では考えられないような差別、迫害を受けてきました。
例えば「お前たちの全財産を没収する。3日以内にこの国を出ていけ」などです。
このような経験から彼らは多くのことを学びました。それは彼らの職業に表れているとされます。
昔から今に至るまで彼らは金融業、医者、弁護士、教育者、研究者に就く人が多いようですが、
これはたとえ全ての財産を失っても、「その身一つだけで再起を図ることが可能であること」を考えての選択だと言われています。
今、私たちは普通に文字を読み書きして生活しています。
しかしこの世界には読み書きや計算を習う機会、つまり「最低限の教育を受ける・自分で学習する」という
機会が無いまま幼年時代、青年時代を過ごしてしまったため、文字の読み書きができず、
死ぬまで不当な扱いを受けている人がたくさんいます。
つまり「教育」を受ける、受けないはその後の人生をある程度方向付けてしまうのかもしれません。
学生時代「勉強が嫌い」だった人が私も含め、多かったと思います。
私は理系でしたが、数学が苦手、物理は理解できませんでした。
「これの何が役に立つの?」これが学生時代の私の感想です。では何のために勉強するのでしょう?
「勉強は、やっておかないと自分で何かやろうと思ったことがすぐにできない」
これはわたしの父が言っていたことです。おそらく社会人としての経験から出た言葉だと思います。
今考えてみると、将来自分で何かやりたいことが見つかった時に、何を手掛かりにそれを始めればいいのでしょうか。
何を始めるにしてもまず頼るのは、今まで自分が身に着けた経験であり、受けた教育の中から何かを探し出して考えていくのではないでしょうか。
人に相談することはできますが、自分の能力が相談した人とあまりにもかけ離れていた場合、せっかくの良い回答であってもそれを理解することもできない可能性があります。
だから、さわりだけであっても、いろいろなことを身に着けておかないと「始まり」が遅れてしまうのです。
「0」では何もできませんが「1」を知っていれば始めることができます。そのための勉強だとわたしは思います。
正直なところ、もしもう一度、高校や大学で学ぶことができれば、当時の2倍は本気を出すと断言します。
もっと積極的に教師や友人と意見を交換すればよかったとか、知りたいことをもっと追求すればよかったとか・・・。
こんなことを考えるのは、この年齢になってそれらの重要性が本当によくわかるようになってきたからです。
だから学校の先生にお願いしたいのは学ぶ理由を事あるごとに生徒や学生に啓発してほしいのです。
「これはこんなことをするときに使うよ、勉強は将来、問題が起こった時に考える姿勢を作るために大事だよ」などなど。
もしかしたら今の教育体制はそのあたりをちゃんと啓発しているのかもしれませんね。
「人生100年時代」の国策が周知されたこともあり、退職年齢を65歳とした場合、日本人の平均寿命までは20年は残されています。日本の義務教育は9年、大学卒業まで含めると16年あります。
健康であれば何かを学ぶには十分な時間です。
退職後は全く別の人生を歩むつもりで若い人も、退職間近の人も今から自分の「教育計画」を考えてみてはどうでしょう。
これからは今以上のITの発展に伴い、学びの概念も大きく変わり、同じ目的に向かって学ぶ人とつながる機会も増え、それが世界中で起きることでしょう。この世界において、文字を読み書きできる人が増え、教育の大切さが理解され、そして自分たちで学ぶ姿勢を持つ人が今より増えていけば、この世界はもっと良くなるに違いないと信じています。
私たちは世界を良くするために学んでいるのかもしれません。